Care&Cure



秋山知里・大坂慶多・西尾祐希・松田望



演習1 パズセッション


場面1と場面2の受け入れ方法の違いについて



<場面1>

 はじめに、友人として相談を受ける場合には親身になって相談を受けることが大切である。
 相手の話を聞いてあげて、その後、しかるべきところへ相談に行くべきであると助言することが必要である。これは、あくまでも"友人"として相談を受けているので、その立場では何ら相談者の家族の関係に立ち入ることができないからである。
 相談者には家族と話してみるようにすすめる。



<場面2>

 最初に相談にきたクライアントは拒否・嫌悪・敵意などを抱いているものなので、まずは問題の核心に触れることなく、世間話のようなごく当たり前の話から始めることが肝心である。
 この際に、決してクライアントとの関係を急いで構成しようとしてはならない。
 まずは、クライアントをリラックスさせることが重要である。
 クライアントとの関係ができても、無理に話しをすることなく、相手から話してくれるのを待つのが大切である。
 まず、最初に問題を抱えているクライアント本人と話してみて、本人を大切に思っているということ、本人に注目しているということを伝える。
 何をすべきであるということはこちらから押し付けずに、話してくれれば受け入れるという態度を見せ、相手から訊かれるまではこちらの意見を押し付けたりしないことが大切である。



<場面1・要約>

 相談者は親友。最近弟(中学生)との関係に悩んでいる。
 父・母・相談者・弟の4人家族。
 弟が不登校で学校に行っていない。軽度の家庭内暴力あり。弟は両親ともほとんど会話をせず、食事も自室でとっている。
 相談者は登校拒否が始まった時に自分が弟を注意したことが原因で弟の態度が硬化したという自責の念を抱いている。


1.はじめに

 友人として相談を受ける場合には親身になって相談を受けることが大切である。しかし、あくまでも友人として相談を受けるだけで、具体的な行動は相談者本人、または家族に任せることが望ましい。


2.具体的な方法

 具体的な方法としては2つ考えられる。
1つ目は相手の話を聞いてあげて、その後、しかるべきところへ相談に行くべきであると助言することが必要である。これは、あくまでも"友人"として相談を受けているので、その立場では何ら相談者の家族の関係に立ち入ることができないからである。
 2つ目は相談者には家族と話してみるようにすすめる。これは、相談内容が相談者だけの問題ではなく、すでに家族の問題になっているからである。
 家族全員でこの問題の解決に着手しなければ、問題の根本的な解決を図ることは難しいからである。
<場面2・要約>

 クライアント:M・・・大学生
 相談内容:弟のこと
 家族構成:父親・母親・クライアント・弟(中学生)

 弟が不登校で学校に行っていない。
 物にあたる、壁を壊すなどの軽度の家庭内暴力有り。
 弟が学校に行かなくなった時期にクライアントが弟に対して厳しく叱責したことがある。
それが原因で弟の態度が硬化したという自責の念を持っている。
 弟は現在、自室にこもりがちである。
 クライアントは憔悴している様子が見られる。同時に緊張感が濃い。


1.はじめに

*本事例の場合、クライアント本人ではなく、問題を抱えている弟と直接コンタクトが取れたものとする。以下、クライアントとは中学生の弟のことを指す。
 最初に相談にきたクライアントは拒否・嫌悪・敵意などを抱いているものなので、まずは問題の核心に触れることなく、世間話のようなごく当たり前の話から始めることが肝心である。
 この際に、決してクライアントとの関係を急いで構成しようとしてはならない。
 まずは、クライアントをリラックスさせることが重要である。
 クライアントにとって、相談に来たということはそれだけで評価できることであり、また、相談所に来たということは、クライアント本人にとっても問題を解決したいという意思があるものと考えられる。
 この時に表面的な不登校の問題のみを解決しようとすれば、それは根本的な問題の解決に繋がらないばかりか、クライアントとの関係をよりいっそう悪化させる原因となりうる。
 まずは、クライアントとの信頼関係をつくることが大切である。


2.具体的な方法

 クライアントとの関係ができても、無理に話しをすることなく、相手から話してくれるのを待つのが大切である。
 まず、最初に問題を抱えているクライアント本人と話してみて、本人を大切に思っているということ、本人に注目しているということを伝える。
 何をすべきであるということはこちらから押し付けずに、話してくれれば受け入れるという態度を見せ、相手から訊かれるまではこちらの意見を押し付けたりしないことが大切である。



学習を終えて


 今回の不登校という事例では偶然にも実際に経験したことのある人が存在したために、紙の上の限定された情報だけではない、より具体的な話を聞き、またそれを元に事例を考えることができた。

ディスカッションを通して感じたのは"信頼関係を築く"ということの難しさである。
 普段私達は安易に、"信頼関係を築く"と計画するが、紙の上に書くことは簡単でも、実際にはこれほど難しいことはない。
 ともすれば、ワーカーという立場で相手の相談に乗るときには、表面的な問題のみに終始してしまいがちで、『何故その問題(不登校)が起こったのか、あるいは何故その行動をおこしているのか』という根本的な部分に目が行かないことが多い。
 また、問題が不登校である場合には、保護者、特に母親は「学校に行かない」という問題をとにかく解決したいと、結論を急ぎがちである。
 しかし、問題の根本はそこではない。謀らずも今回メンバーの一人が言っていた様に、「不登校という行動を起こすことそれ自体が周囲に対するSOS」なのである。
 引きこもること、不登校という行為に出ること。その行為で一番辛いのは周囲の人間ではなく、本人であるということが今回のディスカッションを通してよく分かった。
 ここで問題になるのは「ワーカーは誰の味方か?」ということである。
 相談に来るのが問題を起こしている本人ではなく、その家族であることが多いために、ややもすればワーカーも相談に来た家族の側に立ってしまう。
 しかしそれでは本人の孤独をますます深めるだけである。
 ワーカーは誰の味方か? もちろん、問題を抱えている本人の味方でなければならない。
 それを忘れた時に、ワーカーは問題を解決に導くのではなく、致命的な家族の崩壊を招く切欠となってしまうであろう。

 一昔前であれば、鉄建制裁や精神・根性論で無理にでも学校に行かせるというのが"正しい"ことだと思われていた。もちろん、今でもそう思っている人間は沢山いるだろう。
 しかし、人間というのは、本能的に危険から身を護ろうとする生き物である。
 一度危険だと感じた場所には戻ることは容易ではない。
 逃げている人間は決して能力が劣っているわけではない。むしろ、別の道に進めば優れた能力を発揮することもありえる。
 逃げると決めたのならば、逃げ道を用意することも家庭、学校、ひいては社会にとって必要なことではないのか。なぜならば、問題行動を起こしている人間というのは、周囲の人間関係の縮図だからである。
 問題を起こしている本人だけが悪いのではない。むしろ、その人間は家庭や学校や社会の歪みを素直に表現しているにすぎない存在なのである。
 ならば、その人間を歪ませた周囲があたかも被害者であるかのように、本当の被害者を傷つけるのは間違いではないのだろうか?


(記録者:秋山知里)


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